コイしたヒトがとんとん拍子。

とんとん拍子新しい尺度

Esa-Pekka Salonen & Orchestre de Paris: Claude Debussy – La Mer.

1世紀の輝ける楽家たち。

20世紀は「音楽の世紀だった」という人がいる。音楽評論家の黒田恭一さんが亡くなって久しい。ぼくはこの人の音楽記事を読んで、音楽の世界を知るようになった。彼は20世紀は音楽の世紀だったといった。それは、どんな世界なのだろう?

たとえば、ワーグナーやブラームスといった、偉大な音楽家たちが闊歩した19世紀ロマン主義のあとにやってきたのは、キラ星のような、なんでもありの20世紀だったことを想いだす。音楽の形式や、楽器やオーケストラ編成にも、もうタブーなんかなくなったかに見えた時代である。

響きの美しさを最大限に発揮したドビュッシーは、ジャワやインドの音楽に大いにカルチャーショックを受け、パンドラの箱を開けたかのような音楽をつくった。それは彼だけではない。

シェーンベルクの弟子ベルクも、偉大な先輩たちの思惑などどこ吹く風と、新手法で豊かなウィーンの音を響かせたし、そんなウィーンに背を向け、田舎で民族音楽の探求に忙しかったバルトークも、本気でシリアスな音楽と取り組んだ。

そのころパリを出奔したストラヴィンスキーは、そんなロマン主義音楽はもう終わったと宣言し、バロックやジャズから得体の知れないものを紡ぎ出し、パロディ三昧の音楽をつくった。そして革命ロシアでは、社会の混乱のさなか、若きショスタコーヴィッチはドライな雄叫びをあげ、声高に時代の物語を語った。

ふだん、ぼくはたいてい、ドビュッシーの「月の光」をまわして聴いている。

すると、フランスの「印象派」という新しい絵画の出現と同時に、その音楽がはじまったことを嫌でもおもい知らされる。それはどういうものだったか、ラヴェルの音楽と同時にはじまった印象派音楽に、絵画同様の芸術性を感じないではいられない。

このふたりの印象派の巨匠の作品のなかでも、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は忘れがたい音楽になって聴こえてくる。この一曲で、これまでの作曲家たちが使ってきた音楽語法というものが、根本から変えられたことを知る。ドビュッシーやラヴェルの東洋的なオリエンタリズムは、これまでの音の流れを目覚めさせ、パリ万博における日本の雅楽や、ジャワ、東南アジアの音楽を汲みとったものだった。

ドビュッシーにとって音楽とは、個人的な感動の物語ではなく、イマジネーション豊かな「夢の領域」を指向するものだったうし、感覚的な印象を描くことに、ことのほか、心血をそそいだ。ドビュッシーは若いころ、フォン・メック夫人の子供たちのピアノの先生を務めたこともあり、彼女は、チャイコフスキーに年金を送って経済的な支援をした女性としても知られている。このふたりは一度も会うことはなかった。

ぼくは現代音楽というものを、はっきり知っているわけではないけれど、ポール・グリフィスのことばを借りれば、「現代音楽にはっきりした始まりがあるといえるなら、それはドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》冒頭の、フルートの旋律が示している」といえるかもしれない。

先日、絵を見るために越谷へ行った。――その帰りに、コーヒーを飲みながら本を読んだ。いつものことである。そしてぼくは、きょうは音楽について考えた。20世紀の音楽は、みんなすぐれた音楽だったなとおもう。それはオーケストラや指揮者にもよるだろうけれど、それはちがうかも知れない。

ぼくの人生に音楽があったことを幸せにおもっている。

イェーツという詩人は音楽のことを詩に書いていない。少しは音楽に触れていたことだろうに。ジェームズ・ジョイスとは違うのだ。ジョイスはアイルランドの舞台に立って、オペラのアリアを歌うほどの実力を持っていたが、それはともかく、ぼくには忘れがたい指揮者が何人かいる。いや、何人もいる。現代の名指揮者ランキングというのがあって、さいきんの発表――30人の批評家が選んだ指揮者ランキングなのだが、――それを見ると、第1位はサイモン・ラトル、第2位はマリス・ヤンソンス、飛んで、第6位にヴァレリー・ゲルギェフ、リッカルド・ムーティ、エサ=ペッカ・サロネンとつづく。――

圧倒的にサイモン・ラトルの人気が高い。ここ数年というか、10年はサイモン・ラトルの黄金時代がつづいているようだ。それは認めよう。たしかにサイモン・ラトル指揮による音楽は、どこか聴くたびに新鮮な感じがするし、わくわくする。聴きなれた音楽が、いつ聴いても新鮮なのだ。

むかしはカール・ベームの時代があり、カラヤンの時代があり、短かったがレナード・バースタインの時代があった。それは過去のランキングだ。それでもぼくの耳は保守的で、少なくとも、カール・ベームやレナード・バースタインの音楽が依然すてきだとおもいつづけている。それでもいいじゃないか、とおもうようになった。

もっともポピュラーな「ウェストサイド・ストーリー」の音楽。

そして、彼の作曲による「キャンディード序曲」など、レナード・バーンスタインの音楽はとても刺激的なのだ。タイン・ショスタコーヴィチの「交響曲5番」ロンドン交響楽団指揮は、1966年の名曲といっていいだろう。彼の若いころの指揮ぶりが映像としていま見ることができる。そしてマーラーの「交響曲第5番」とつづく。

ぼくの過去は、音楽とともにあったし、いまもそうだ。なのに、ぼくは音楽家を目指そうと一度もおもわなかった。数学にあこがれたが、数学者を目指そうとはおもわなかった。小説を読みつづけたけれど、作家になろうなんて、一度もおもわなかった。写真を見つづけたけれど、写真家になろうなんて一度もおもわなかった。

いったい、どうして?

読んだり、聴いたりする喜びを知ってしまったからである。

これはひとつの才能かもしれないぞ! とおもう。

小説を書いて、おもしろく読んでもらわないことには忘れられる。だが、忘れられている作品や、誤解されている作品を引っ張り出してきて、再評価することにぼくは情熱をもった。

いまふり返って、シェーンベルクや彼の弟子だったベルクの音楽に、もう一度耳を傾け、バルトークのシリアスな音楽にも耳を傾け、そのころパリを出奔したストラヴィンスキーの音楽にも、ふたたび時代の指揮者たちによる音楽に耳を傾けて、聴き直すのもわるくな
い、そうおもっている。

偉大な先人たちの思惑などどこ吹く風と、つぎつぎと新しい音楽の担い手たちがあらわれている。好きとか、きらいとか、偏見なしで聴いてみようとおもうのである。春の花のふくいくと咲き乱れるその木陰に、また新しい鬼才がたたずんでいるかもしれないのだ。9月を待つこともなく、あす、7月の人に会いに行こうという気分で。……

ぼくがはじめてエサ=ペッカ・サロネン(Esa-Pekka Salonen, 1958年生まれの59歳)の音楽を聴いたのは、2008年ごろのことだった。あのカリスマ的な鬼才ヴァレリー・アビサロヴィチ・ゲルギエフや、シャルル・デュトワを抜いて、N響演奏人気ナンバーワンの指揮者に輝いた年だった。そのときの演奏は、バルトークの「中国の不思議な役人」という曲だった。とてもふしぎな曲だった。

これ以来、ぼくはエサ=ペッカ・サロネンの音楽動向に目が離せなくなった。いま欧米ではエサ=ペッカ・サロネンのスケジュールがまったく取れないほどの人気であるという。

で、エサ=ペッカ・サロネンのことを少し書く。

サロネンは、1958年にフィンランドに生まれ、最初はホルン奏者を目指していたが、1979年に指揮者としてフィンランドでデビューして以来、とてもラッキーなスタートを切った。1983年9月、ロンドンのフィルハーモニー管弦楽団の指揮者だったマイケル・ティルソン・トーマスが急病になり、そのピンチヒッターを務めたのが縁で、一大センセーションを巻き起こしたといわれている。この話は、ぼくはまったく知らなかった。

最初に聴いた「中国の不思議な役人」があまりにもすばらしいので彼の経歴を調べてわかったことだった。サロネンがN響を振ったこの曲は、忘れがたい。圧倒的な人気があった。ぼくもそのひとりだった。

彼は、ベルリン・フィル、ロスアンジェルス・フィル、ウィーン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに招かれ、まるで飛ぶ鳥を落とすようにして、この若き指揮者はとんとん拍子に出世街道を歩いた。スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者、フィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者を務め、1992年より、ロス・フィルの音楽監督に就任。現在にいたるまでのレコーディング・レパートリーを見ると、メシアン、ルトスワフスキー、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーという20世紀のモダン・ミュージックが圧倒的なボリュームを占めている。共演するソリストも、トランペットのウイントン・マルサリスなど、ジャンルにこだわらない出し物が多いのも好感が持てる。

そしてN響を振ったときは、日本のクラシック・ファンを完全にトリコにした。サロネンはいう。

「自分を表現できることが大きな喜びで、20世紀の作品はぼくの時代の音楽だから、よく理解することができるし、それが、自分の気持ちに近いのです」と語っている。

彼のツィッター発言を見ると、ほとんど毎日のように、その「気持ち」を発信しつづけている。もちろん、モバイル端末や、ソーシャル・メディアにも発信し、音楽に新しい興味を吹き込み、それを若者に発信しつづけている人として知られるようになった。

きょうは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」を彼の指揮で聴いた。フィルハーモニア管弦楽団ロンドン・シンホニエッタによる「Great Conductors 10」、1989年リリース。

この曲は、いろいろな指揮者で聴いている、ごくごく聴きなれた曲である。いままで聴いたなかでは、ヴァレリー・アビサロヴィチ・ゲルギエフ指揮が最高だとおもっていた。いまでもそうおもってはいるのだが、きょう、エサ=ペッカ・サロネンの「春の祭典」を聴いて、ぼくの考えが少し変わった。

その考えを変える最大のものは、彼の生地フィンランド性といったらいいのだろうか、ちょっといいにくい感情が見え隠れしているようにおもわれた。ロシアのながくて容赦のない圧政下にあったフィンランドは、過酷な時代を乗り越えてきた国民性を有していて、その血の流れは、いまも変わらない。

初演は1913年5月。パリのシャンゼリゼ劇場で行なわれ、このときは、ロシアのバレエ団によって演奏され、ニジンスキーの振り付けで、ピエール・モントゥー指揮でおこなわれた。ニジンスキーの振り付けは、出演者たちを大いに混乱させたらしく、初演はさんざんだったといわれる。ある人の証言によれば、「序奏の最初の数小節がはじまっただけで、嘲笑が沸き起こったので、わたしは憤慨のあまり席を立ってしまった。最初のうちは少なかったが、不愉快きわまる示威はしだいに高まりを見せ、ついに会場を覆いつくしてしまい、それに反対するヤジが出て、やがて恐るべき喧噪に発展した」とストラヴィンスキー自身が回想でのべている。

おかしなリズムと、不協和音の連続するこのバレエ曲は、完全に自制心を失ったような演奏になった、と書かれている。パリの社交界で、女王として君臨していたプールタン伯爵夫人は、公演ののち、「このバレエ曲は、わたしの60年の生涯を通じて、わたしを最も小バカにした作品です」といったらしい。

たしかに耳をつんざくばかりの金管楽器、くるったみたいな音を出す木管楽器、苦しみにゆがんだ叫び声をあげるホルン、万感変化するこの野性味をおびた曲想は、はじめて聴く者にとって耐えがたい音と化したというのである。

もちろん、初演はいつの時代にあっても、非難ごうごうたるものになりやすい。ストラヴィンスキーの当惑した姿が目に浮かぶ。――さて、それをいまエサ=ペッカ・サロネン指揮であらためて聴いてみると、ぼくには、耳をつんざく音も、苦しみにゆがんだ叫び声をあげるホルンも、まったく存在しなかった。すばらしい音楽に聴こえた。それはどうしたことなのだろうとおもう。パリの社交界に出入りする連中は、後期のロマン派音楽を聴きたかったのだ。バレエ曲「春の祭典」は、序曲が鳴りはじめると、もうその期待を裏切るばかりか、ロマン派音楽をひっくり返すような音楽に聴こえてしまったのである。

いま聴いても、ひっくり返った音楽には違いない。そこにもってきて、見るからに奇妙なニジンスキーの振り付け、「あれは、なんだ!」とおもわせる舞台衣装で、会場はいっせいに哄笑の渦となって伝播していったのだろう。そのときの楽器編成のくわしいことはわからない。

エサ=ペッカ・サロネンのこのときの楽器編成についてくわしく見てみると、どうも、その編成に特徴があったようだ。――ピッコロ、フルート4(2はピッコロ持ち替え)、オーボエ4(2はイングリッシュホルン)、イングリッシュホルン、クラリネット4、バス・クラリネット、ファゴット4、コントラファゴット、ホルン8、トランペット4(1はバス・トランペット持ち替え)、ピッコロ・トランペット、トロンボーン3、テューバ2、ティンパニー2、大太鼓、タカプリン、ゴング、シンバル、トライアングルとなっている(弦楽5部)。

ストラヴィンスキー自身が書いた総譜は見ていないけれど、いくらなんでもホルン8というのは多すぎる。トランペット4も多すぎないだろうか。うち、弱音器をつけたのは何本かはわからない。ぼくはそんなことを考えてしまった。

しかし、すばらしい音楽だった。

蛇足ながらバルトーク・ベーラが作曲した「中国の不思議な役人(Der Wunderbare Mandarin)」は、一幕もののパントマイムのための舞台音楽としてつくられたもので、機会があったら、ぜひエサ=ペッカ・サロネンの指揮で聴いてほしいとおもう。

本当にヤバいとんとん拍子の脆弱性4つ

今日は、13時から、コンラッド東京の28階にありますラウンジにて、ビジネスミーティングを行いました。 

コンラッド東京のエレベーターホールには、大きな桜の木が飾られていました(*^^*)

今回、私がビジネスミーティングを行った人物は、日本や海外で語学学校を9校経営し、海外の国営テレビで日本文化を紹介する番組を制作しているF氏です。

2時間ほどミーティングをしたあと、私は席を立ち、福岡に帰るために羽田空港に向かおうとしましたが、F氏がひとりごとで「これからタイ料理でも食べて帰ろうかな~」と言いましたので、『おっ、タイ料理、私も食べたい!』と思い、夕食をご一緒することになりました。

私とF氏は、電通本社ビルの地下2階にあります ASIAN TAWAN というお店に行きました。そして、空芯菜とニンニクの炒め物とトムヤムクンヌードルをいただきました。 とても美味しかったです。


ところで、私とF氏は、今日はじめてミーティングをしたにもかかわらず、今後のビジネスの展開について、かなり進んだ話をしました。そのひとつとして、今年中に、一緒に本を書いて、海外で出版することが決まりました。F氏はもうすでに20冊以上、本や辞書を出版しているということで、私がコンテンツを提供し、F氏が翻訳と編集をするということで、とんとん拍子に話が進みました。

F氏とは、食事の時間も合わせると、4時間くらいご一緒しましたが、私はその間、ずっと不思議な感覚がありました。なぜなら、F氏の生き方や考え方が、私とそっくりだったからです。F氏が「シホさん、潜在意識の奥深くにある前提に、ネガティブなものがあれば、それが現実化します。ですから、潜在意識の奥深くにある前提をクリアにすると、人生がどんどんポジティブに展開します。でもほとんどの人がその前提に気づくことができきず、人生をポジティブに展開させることができないのです」と話したとき、私は、とてもおかしくなりました。『それって、私がいつもブログで書いていることだ~』と思ったからです(笑)

私とF氏は、同じ星からきて、同じ地球ロゴスのゲートをくぐったということもわかりました。 

同じ星からきて、かつ、同じ地球ロゴスのゲートをくぐった人との出会いというのは、すごいな~と思います。この地球に来た目的と、地球で一時的にまとう魂の性質が、まったく同じだからです。そしてそれは、「人間」というものを超越した関係性だと思いました。

そうそう、F氏は、5月から始まる私のNLPプラクティショナーコースにも参加して下さることになりました。これを機会にNLPの本も一緒に出版することになりそうです。もちろん海外で

いろいろと楽しみです☆ 

[広告] 楽天市場
  • とんとん拍子・幸運豚のブレス<幸せ豚のストラップ付き> 【開運グッズ ファッション お守り アクセサリー ブレスレット】
  • 大開運・梵字ブレス<とんとん拍子カード付き> 【ブレスレット パワーストーン 開運グッズ ファッション お守り アクセサリー HR】
  • とんとん拍子・幸運豚のブレス<幸せ豚のストラップ付き> 【幸運 運気 上昇 豚 縁起 ブレス 邪気】
  • 【受注発注商品】とんとん拍子にいいこといっぱい♪【しあわせふえるブタ】
  • 【中古】 とんとん拍子 / 荻野 アンナ / 清流出版 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】
  • 【とんとん拍子ラッキー豚のブレス】白水晶/黄水晶/赤メノウ/天然石 パワーストーン ブレスレット

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする