とんとん拍子のなにからなにまでFANの人大集合♪

とんとん拍子の人気はいつまで続くのか、旬なアイテムをズラリネットショップに揃えてます

波に乗る

引き寄せる

グッドタイミング

それはたまたまが重なっただけの偶然かもしれない。

でも、そのたまたまの偶然を喜んで受け入れられると、

人生というと大袈裟でも、

日々の生活はずいぶん楽しいものになってくるはず。

 

私がエリックスコンビネーションエッセンスに出会ったのも、

たまたまオーラソーマプラクティショナー更新のための

セミナーがきっかけでした。

そのセミナーのお昼休みに、

ある意味「藁にも縋るような」(ちと大袈裟だけどね)気持ち、

自分では変えようのないと思われる現実の支配。

これを打破したいと思い注文してみたレディーというエッセンス

女性らしさのサポート。

女性らしさを最も自由に表現する。

ことを目的にブレンドされているエッセンス。

女性であれば当たり前に女性らしくてもいいはずなのに、

なんで今更と思われるかもしれませんね。

でも女性でありながら、あるが故に自分をないがしろにしていたり、

誰かのために、それは夫婦、親子など身近な人間関係においても、

うんと我慢していたり、

まずは家族のためだとか、

そんな女性は多いと思う。

人には甘えられないとか、

自分を大事に扱えないとか、

そんな風に感じることがあるとすれば、

このレディー(フェミニン)というエッセンスは、

とてもいい仕事してくれるはず。

私、優しくされまくってますからo(〃^▽^〃)o

私はこのレディーというエッセンスに出会い、

コンビネーションエッセンスアドバイザーから

インストラクターにとんとん拍子で上り、

また開いたエリックスコンビネーションエッセンスのお茶会では、

なんと4本もこのエッセンスを買っていただけました。

また私が注文するエッセンスは、

師匠のさりーさんが驚くほどスムーズに、

私の元へ届けられております。

昨日師匠から届いたご注文の4本のエッセンス、

今日の午前中にはクライアント様がお引き取りくださいました。

必要なものは、

必要な人へ、

最速届いております。

以前のブログに、

私の根拠のない自信が薦めるエリックスコンビネーションエッセンス。

と書きました。

根拠のない自信であっても、

沢山の偶然が重なればそれは必然。

実に一度には書ききれないほどの仕事してくれてます。

なのでまたまたお茶会開きます。

【エリックスコンビネーションエッセンスのお茶会】

日時: 7月29日土曜日 

     13時半~15時

場所: 八本松 アイクレール

会費: 2000円 + ご自分のお茶代

土曜日開催は珍しいです。

お申し込みは

直接でもいいですし、フェースブック、メッセンジャー

までお願いいたします。

波に乗るか  

乗れないか

それはあなたの行動力ですよキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

私が今使っている主なエッセンスさんたち。

週末からのいただき物です。

全部私が好きなもの。

皆様ありがとうございました。

とんとん拍子 スピードおさえていい運転

サヨナラだけが人生だったら劇的ドラマチックなんだけど
――「勝手に踊ってる」パンチドランクラヴ
人生における出会いと別れと
平田オリザの「さよならだけが人生か」を観た。僕は面白く観たが、一緒に行った友達はよくわからなかったを連呼していた。たぶんよくわからなかったんだろうと思う。
どうでもいいような会話を緻密に再現して劇として見せるのは、刺激を求める人にとってはつまらないと感じられるものなのかもしれない。
僕はばからしいものが好きなので、どうでもいいようなことに心血を注いでいるのを見るとウキウキさせられる。芸術におけるある種の壮大さというのも、わけがわからないなりに迫力を感じておもしろいものだが、取るに足らないような一瞬、日常的に起こるちょっとした出来事にフォーカスするという営みもアートだと思う。
どうでもいいような会話を通して「何か」がうまくいくという感覚、とんとん拍子のリズム感のようなものに嗜好性がある。何かというのはようするに何なのかということが言えない領域(あまりに大それていて、またはあまりに微細で)に到達することができる瞬間が芸術のシーンにはある。
生活における「漫画のような出来事」も「なんでもないような普通の出来事」も、それぞれにフォーカスして見つめる機会を得たならば、それ特有の面白味があるのを発見できる。劇場や展覧会に足を運ぶのは、そういう「何か」を得ようと生活に働きかけることだと思っている。非日常の珍奇さも、日常の陳腐さも、それに目を向けるという行為そのものに意味があるのであって、対象としてはさしたる差がない。「あまりないもの」は希少価値があるので価値判断をする際にわかりやすい指針になるが、今の時代、「あまりないもの」という括りに当てはまるものはそこここに溢れていたりする。たとえばニュース。ニュースバリューのバリューはそれを受け取る個人個人にとってはそこまで大きなバリューにならない。実際、僕たちは毎日ニュースには事欠かない暮らしをしているから、なんというかニュース自体がいくらか陳腐なものだという感覚を共有していると思う。
ニュースをどう見るかが大事なのであって、ニュース自体には価値がないと言い切ってしまってもいい。やっぱり受け取り方がすべてなのだ。たとえば「ニュース」を「名画」に変えてみてもこの解釈は成立する。
「さよならだけが人生か」は音楽的な舞台だった。音楽的といっても登場人物が歌を歌うというのではなく(歌を歌うステキな場面はあるが)、ひとつひとつの会話がリズムを持ち、それらが組み合わさることで全体のリズムを構成しているという点で音楽的だった。音楽というのは相対的な側面をはっきり持つ類いのアートで、同じ音を鳴らすにしても、どこで鳴らすかにすべてが掛かっている。どの音を鳴らすかというのはそこまで重要じゃない。大事なのはいつ鳴らすかだ。つまり、どの音の後に鳴らすか、どの音の前に鳴らすか、それによってその音自体が規定される。
そのような規定のされ方は、会話にも当てはまる。誰の前で話すかによって、話し方が変わるのはもちろんのこと、話の内容も変わる。「さよならだけが人生か」はそういう微細な部分に意を砕いた会話劇であるという点でも音楽的な舞台だったといえる。
さまざまなレベルで考える人物がいて、さまざまなレベルを行き来する。会社員・バイト・学生・役人、男・女、後輩・先輩、それぞれの立場があり、それぞれの見え方がある。それぞれにとってどう見えるかということがやはり大切なところで、実際の形というのは、必要がないとはいえないにせよ、そこまで重要じゃない。
ただし、登場人物の立場や思惑はバラバラなようでいて、観念のレベルではあるテーマを共有している。それがほんの少し集約されたところで、舞台は幕を下ろす。集約されるといってもピッタリ重なるのではなく、やや滑稽味のあるズレを含みながらふわっと束ねられるというようなものである。暗転直前、舞台狭しとひしめき合ったすべての人物が同じ方向を向いての大団円となるが、「全員が見ている」ではなく「それぞれが見ている」という感じを起こさせる、やや物悲しく、同じぐらいの量で可笑しい、なんでもないようないい終わり方だった。
「さよならだけが人生だ」はつよい言葉だけど、「さよならだけが人生か」は同じぐらいつよくて、しかも幅広い言葉だ。なかなかいいパンチラインだと思った。
・さよならだけが人生か(疑問)
・さよならだけが人生か(反語)
・さよならだけが人生か(確認)
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